Michael Sull’s Workshops

“negative space” “muscle memory” “fancy” “practice”……今も紙に向かって曲線を描く練習をしていると、あの特別なレッスンを授けてくれた人の様々な言葉が頭の中で再生されます。

 2月13日〜16日、ホテルローズガーデン新宿にて「マスターペンマン」マイケル・サル氏(以下、師)のスペンサリアン体特別レッスンを受講しました(受講者は約20名、その中には日本のカリグラフィー界の第一線で活躍する人も何名かいらっしゃいました)。
スペンサリアン体:19世紀、アメリカのプラット・ロジャース・スペンサリアンにより作り出された、先の尖ったポインテッドペンで書く機能的な事務書体。彼の育った豊かな自然に見られる美しさを反映させて作られた、早く、美しく、読みやすい書体。

 カリグラフィーといえば、ペン先が幅広のブロードペンを使用するのが一般的ですが、このスペンサリアンは先の尖ったポインテッドペンを使用します。私はカッパープレートラウンドハンド体(以下、カッパープレート)を学ぶ際にポインテッドペンを使用したので、スペンサリアンについても全くの素人ではないと思っていたのですが、それは大きな間違いでした。カッパープレートとスペンサリアンは、文字通り「似て非なるもの」ということが、師のレッスンを受け始めた途端に分かってきました。
 師はこんなことを仰いました。
「ふだんの生活では、一定の声量で抑揚もつけず、平坦に話し続けることはしないでしょう? スペンサリアンもそれと同じで、強調したいところは大きくしたり、抑揚をつけて書くのです」
カッパープレート(スペンサリアンと同じポインテッドペンを使う書体)

私が今まで学んできた伝統的カリグラフィーは、文字の形はもちろん、大きさや線の間隔のルールが定められています(ブロードペンを使用する場合は、そのペン幅に応じて文字のサイズが定まります)。そのルールを逸脱すると文字の美しさが損なわれてしまうのですが、今回学ぶスペンサリアンは、文字の形、大きさや幅に明確なルールはないのです。というよりも、容易に明文化・数値化することができないのです。それはなぜかというと、スペンサリアンにおける文字の構成要素はすべて曲線の組み合わせで構成されているからなのです。自然界は曲線で出来ていて直線は存在しません。それにならって、スペンサリアンも曲線のみで構成されているのです。

「ダンスをするようにペンを動かすのです」
 ダンスをするときには、手の動きはこう、とか足の動きはこう、とかいちいち考えていたらぎこちない動きになってしまいます。ペンも同じこと。いちいち考えながらペンを動かしていたら線が歪んでしまいます。いちいち考えずにペンを動かせるようになること=筋肉に動きを覚えさせることが大切、と師は仰いました。
 師のペン先の動きはそれほど速くはありませんが(手書きしか選択肢のなかったタイプライター登場前は速く書けることが非常に重要でしたが、現在では速く書くことはそれほど重要ではありません)、紙上で常にその角度を変えながら進み続け、その軌跡としてインクの線が伸びていき、そうしてスペンサリアン体の文字が形作られていきます。
 確実に言えることは、線が「自然」であることです。曲線が折れ曲がったり歪んだりしないこと。自然な曲線の連続で構成されていること。ルールはそれだけと言っても過言ではないでしょう。ですからレッスンでは「書くところをよく見なさい」と言われました。
師のペンの動き、指、手、手首、肘、肩、腕全体の動き…そしてペン先が紙の上のどこを通るのか…その時の周りの余白の状況はどうなっているのか…
ペン先を動かして曲線がひかれていく紙面の状況は刻一刻と変化していきます。その瞬間の状態を見極めながら、次の瞬間のペン先は何処へ向かうべきかを判断して、自然な軌跡を保ち続けたままペン先を動かしていきます。そうして文字が書かれていきます。そうして出来上がった師の文字には、誰の目にも明らかな、溜息の出るような美しさが宿っているのです。
 この刻一刻と変化していく紙面の余白状況を感じ取ってペン先を進めていくというやり方はしたがって、書き方を「覚える」のではなく「学び取る」ことが大切なのです(覚えるだけならばコピーで十分ですよね)。よく見て、よく練習する。これに尽きます。ちなみに師は70歳になった今も、毎日練習しているそうです。

 初日のレッスン終了後、師と一緒に西新宿のビル街を「直線だらけですね」などと話しながら歩いていると突然、師が足を止めてつぶやきました。”beautiful….”
 彼の視線の先にあったのはモード学園のコクーンタワー。師はしばし足を止め、優雅な曲線で構成されたビルの姿に見入っていました(後日調べてたところ、モード学園コクーンタワーは2008年のエンポリス・スカイスクレーパー賞の第1位(日本で唯一)を受賞していたことがわかりました)。
 師は「自然をよく見なさい」と言いました。彼自身、休み時間などには木の枝葉の隙間をよく眺めるそうです。それを聞いた私は、オーギュスト・ロダンの言葉「芸術家は自然の親友である」を思い出しました。

 6時間のレッスンを4回、合計24時間のレッスン受けた私は、最終日の2月16日の夕方、師から修了証を受け取りました。レッスンの間、師はずっと喋り通しで書き通し、さぞお疲れのことと思いましたが、そんな素振りは露も見せず、常に穏やかな様子でした。師は本当に書くことが大好きなのだということがよく伝わってきました。師の授けてくれたことを自身の血肉とするため、練習を継続して行きたいと思います。
  
  修了証を手に、師と記念撮影    モレスキンに書いていただきました!

 1620年、ピルグリム・ファーザーズがジョージ1世の弾圧を逃れるためにメイフラワー号でイギリスから新大陸へ渡ったのを皮切りに、様々な人々が新天地を目指して大西洋を渡ってから約150年後の1776年、大英帝国からの独立宣言によってアメリカ合衆国が誕生、そこから約50年後の1820年代に、スペンサリアンが生まれました。
 私が以前学んだカッパープレートは16世紀に銅版印刷のためにイギリスでつくられましたが、この書体には多くの決まりがあり、人によってはそれが堅苦しく思えてしまうかもしれません。一方、そのイギリスから独立を勝ち取ったアメリカ合衆国に生まれ、美しい自然に囲まれて育ったプラット・ロジャーズ・スペンサーがつくりあげたスペンサリアンは、制約が少なくて自由な書体です。しかしこの「自由」は自分勝手とは全く異なるものです。この自由をものにするためには、一朝一夕の練習ではものになりようがない果てしない努力が要されるのです。使用する道具は同じでも、イギリスで生まれたカッパープレートとはその思想が全く異なるこの書体は、まさに自由の国アメリカを体現している書体なのだ、と師の言葉を聞きながら強く思いました。

英字、漢字、ひらがな、カタカナ、キリル文字、梵字、モンゴル文字、チベット文字、その他にも、この地球上には様々な文字がありますが、その全ては人間の作り出したもの、自然界に存在していないものです。その人工物である文字を、自然界のものに限りなく近づけていく行為、それがスペンサリアンの本質なのではないか……。

師と過ごした特別な日々を振り返り、そんなことを思った次第です。
ウェルカムディナーの最中にも、敷いてある紙に鉛筆でスペンサリアン体を書いて説明をする熱心な師

 

2 thoughts on “Michael Sull’s Workshops

Comments are closed.

Share via
Copy link
Powered by Social Snap
search previous next tag category expand menu location phone mail time cart zoom edit close